自分の身体は〇〇です

今日は最近始めたスピリチュアルのお勉強のお話をします。

スピリチュアルと表現しましたが、何かが見えるとかふわふわしたお話というよりも自分の内側にフォーカスする、自分自身に向き合う作業のような感じです。

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人って(というか私がそうでしたが)、何かに迷ったときや不足感を感じたとき、何をしてよいかわからない時、答えを外で探そうとします。

何か新しい勉強を始めたり、自己啓発の本を読み漁ったり。私もいつも何か足りないと思ったり、自分を変えようとしたとき、何かコレだというのが外からもたらせると考えてました。やりたいことがわからない時、何が好きかわからなくなった時、手当たり次第にいろいろなことをやってみる、なんて方法もあるのですが、そんなことをしなくても、答えはいつでも自分の中にあるんですね。(もちろん色んなことをやってみて、楽しいことを見つけることも良い方法ですけど)でも、何がしたいかわからなくなっている時って、色んなことをやってもピンと来ないことがあったりします。

 

まず行動することも大事ですが、自分に向き合い、自分を内観し、自分に聞けば、コレだに気づきやすくなるということを知りました。

 

普段自分の意志を知らず知らずのうちに軽視したりしてませんか。たとえば、無茶苦茶お腹すいているのに、キリが悪いからキリの良いところまで作業をして…なんて、日本人あるあるな感じですが、実は、一旦食事して仕切り直した方が効率よく早く終わったりします。自分のお腹すいたという気持ちを軽視して。他人を気にして自分を犠牲にするなんてこと、日常的にありますね。意外と自分を雑に扱っていることに気づいたりします。たとえがごはんだとちょっと軽い話に聞こえますが( ´艸`)

 

低FODMAPについて先日書きましたが、自分のことをよく知ろうとせずに体に良いと思われる物を食べ続けていたり(結局自分の身体に合わない食べ物を食べ続けていたんですが)、忙しいを理由にカンタンに済ませられる食事をしていたり、添加物が多い物を沢山食べていたり、結局体調が悪くなるまで自分の身体の声に耳を傾けることはしていませんんでした。

 

そういう自分を無視する、小さな無視の積み重ねで、体調を壊したり、自分の内側にある答えだったり、願望であったり、やりたいことが見えなくなる、気づかなくなってしまうんですよね。

 

案外自分自身に色々我慢させていたり、丁寧に扱っていなかったことに気づいたのは、

自分の身体は神殿ですという言葉です。これは聖書の言葉のようですが、私はこれを聞いて

自分の身体は自分のおうちと浮かびました。人は環境に影響されやすい生き物ですが、自分自身が乗っかっている自分の身体が散らかっていたり、整っていいなければ、乗っかっている本人はそりゃー荒れますよね。という感じ。

 

インテリアの仕事をしている私には、自分の身体は自分のおうちの方がしっくりきます。それは、よく机の上は頭の中だと言ったりしますが、インテリアの仕事をしていて色々な方のお宅に行って感じたのは、家の状態はそのご家族や住人の状態をよく表していること。なので、自分のおうちを整える=自分の身体を整える=自分自身を整えること、心地よくすることにつながると腑に落ちました。

 

話を戻しますと、その自分を整える、自分を内観するには様々な方法がありますが、すぐにできるのが瞑想だと思います。

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私はヨガを10年ほどやっていましたが(過去形( ´艸`)最近はやってないという…)、必ず瞑想の時間があります。ヨガでの瞑想では、つい雑念が、これ終わったら何を食べようとか、あれ買い忘れてたとか浮かんできてたんですよね。そういう時ほど、一心不乱に呼吸に集中すると雑念が通り過ぎ、気分がすっきり、リラックスできます。

 

気になったり、悩んでいることほどどうしても四六時中考えてしまいがちです。でも、一旦その問題から離れ、瞑想などで一度’無’になると、意外とというか思わず良い方法が思いついたり、違う視点(俯瞰して)で問題を見つめて、実はそんなに深刻な状況でないことに気づいたり。

 

解決策や必要な答えは、自分の中にあるものです。いつも自分に向き合っていられたら、問題が起きても慌てることなく状況を俯瞰し、必要な答えを見つけられる、そんなどっしりとした状態を保てるよう、瞑想を続けてみたいと思っています。